Home > 自宅出産の記録
自宅出産の記録

   家でのお産   西飯 峰様  第2子舞ちゃん 2度目の自宅出産

1.葬式の夜に
「早く産婆さん呼んで来んか!」曽祖父が祖父をたたき起こし、私の母が生まれたそうだ。もちろん私は、その場に居合わせないけれども、そんな有事に熟睡していた祖父の姿が目に浮かぶ。おばあちゃんの時代、お産は生活の中に密着したドラマだったのだとつくづく思う。

そんな祖父が昨年の3月に亡くなった。お葬式の夜に久しぶりに、母、叔父、叔母、が揃っている姿を見た。祖父の思い出話に花が咲いていた。3人が揃っているところを見て、ああきょうだいっていいなと思った。親族の一人が亡くなり、一人が生まれることは、なんだか理にかなっている。ちょうど第二子を考えはじめていた頃だった。

同じ月に両親の実家近くに引越しをし、どたばたしている間に妊娠が分かった。第二子を決意してすぐの妊娠だった。長女はさいたま市で自宅出産をした。これもアメリカから帰ってきて転居したすぐに妊娠が分かった。不思議なものである。

自宅出産(当事者としては「家でのお産」という名前がしっくりくるけれど)をするというと、周りは「勇気がある」とか「こだわりがある」とか「危険ではないの?」とか色々言う。けれども人間はずっと自然出産」していたはずだし、もし安全ならば、なるべくシンプルにリラックスして、おばあちゃんたちのように産みたいと単純に思った上での選択だった。夫婦共に青年海外協力隊経験者なので、価値観がちょっと「普通」と違うのかもしれない。さいたま市に住んでいた、第一子のときから自宅出産だったし、夫婦してそれが特別な選択だという意識も無かった。実際に母体も赤ちゃんにも家族にもいろんな意味で「楽」な経験だった。

2.巻田助産師さんとの出会い
さいたま市でお世話になった助産師さんにお願いするのはいかにも遠いので、自宅出産を引き受けてくださる助産師さんを探し始めた。ちょうど母校の先生にお目にかかる機会があり、先生に紹介いただいた助産師さんから巻田さんの連絡先をいただき、一度自宅に来ていただいた。お話して、この人にお願いしようと家族一致(2歳になる上の娘も巻田さんを一度で好きになったので)で決めた。健診の度にお灸やアロママッサージをして下さるなど、ほとんど毎回長い時間居ていただいた。病院は10分以内健診だから随分と違うなと思った。

3.妊娠という健康法
自然分娩をしようと思うと、母親が自分で産む準備をしないとかなわないことだ。それはちょっと面倒くさいことでもあるが、健康法でもあると思う。
体を冷やさないこと、よく歩くこと、よく休むこと、ヨガなどで呼吸を整え、関節をやわらかくすること、自分の体と心とよく向き合うこと。これはよく考えると別に妊娠していなくてもやった方がいいことばかりだ。妊娠を機会に私の健康は全体的に改善したと思う。夫いわく「妊娠中と授乳中が一番健康そう」とのことだ。

しかしそんな中で「健康に悪いな」と思ったのは、まずはなんといっても毎日の通勤だった。妊婦マークをつけて優先席の前に立ってもほとんど譲ってもらえることはなかった。一時間ほど同じ電車に乗っているので、それはとてもきついことだった。でも中には「どうぞ」とさっと譲ってくれる人も居たが、私は子供には、偉くならなくても、電車で席を譲る人になってほしいと思う。加えて検査を受けに行っていた病院の対応も、そんなに友好的なものではなかったのも、精神的な健康に少し悪かったと思う。こんなに少子化しているのだから、もう少しフレンドリーな対応をしてもらってもいいように思った。

4.お産のプロセス
予定日は1月7日。でもその日を過ぎても子供は生まれてこなかったけれど、上の娘の時もそうだったので、まあ、大丈夫だろうと思っていた。それでもちょっと心配していたのが伝わったのか、娘が「もう赤ちゃんのドアを開けてあげないとね」と可愛いことを言ってくれた。1月12日の夕方、娘がふと、テレビを見ながら「明日巻田さん来るよ」と、何も聞いていないのに、ポツリと言い、なんとなくそうなるだろうと思った。小さい子供が、何もこちらから聞いていないのにする予言は結構な確率で当たるものだ。

そしていよいよ、1月13日の午後3時から10分間隔の陣痛が始まった。まずは夫に電話して仕事から戻ってきてもらった。娘も母に連れられて保育園から戻ってきた。あいにく彼も娘も風邪を引いていたので、取りあえず休んでもらった。陣痛はそれなりに痛いのだけど、リラックスして、全神経を痛みに集中して、痛みに合わせてゆっくりと息を吐くとうまく付き合えることが分かった。長年やっているヨガがとても役に立った。そんな風に過ごすうちに、なんとなく陣痛がゆっくりとこの世にやってくる赤ちゃんからのシグナルのように思えた。そのシグナルで「明るい宇宙のドア」が開いて、ちっちゃい神様が降りてくるようなイメージが沸いてきた。

1月14日の午前4時前。時々お風呂に入ったりしながら(これは陣痛を緩和するのにとてもよい方法だった)陣痛の記録をつけていたが、もう我慢出来ないという感じになったのでいよいよ夫を起し、巻田さんに来ていただくようにお電話した。巻田さんは4時半くらいに到着され、子宮口の開き具合を確認していただいたところ80%とのこと。ヨガの先生からお借りしたバランスボールを使い四つんばいになるとちょうどよい高さになった。巻田さんに背中をさすってもらうと、痛みが分散さてていった。
しばらくして、サポートの菅谷助産師さんも到着された。便をしたいような、しかし微妙に位置が違うような感覚が訪れ、いよいよお産の最終段階に入った。息を吐きながら力を入れると、まず卵膜が、次に、頭が、最後に体がでた。全部で4回ぐらいでスルーっと生まれてしまい、自分でもびっくりした。満ち潮になる7時ちょっと前に女児が誕生した。前のお産でも助産師さんが到着してから2時間半で長女が誕生して、今回もほとんど同じだった。偶然だろうか?赤ちゃんが生まれてからの処置を巻田さんと菅谷さんが職人的丁寧さと速さで進めるのを横で見ながらそんなことを思った。

それからぐっすり眠っていた娘を夫が起し、生まれたての赤ちゃんを見せ、二人で臍帯を切った。娘がどんな反応をするのかなと少し心配だったが、開口一番「かわいい―」ときらきらした目で言っていたので驚いた。娘はその後、あれこれと過剰なまでに世話をやいてくれるが、まだ2歳なので力の加減が分からず、母親の愛情が赤ちゃんに向いているのも寂しいところもあるようだ。うまく新しい関係が定着するまでには少し時間がかかりそうだ。

5.お産の後に
生まれてきたのは女の子、舞と名づけた。音の響きが好きなこと、冒頭に出てくる祖父が舞台関係者であったこと、そしてこの重苦しい時代にもおおらかに舞うようであって欲しいとの願いもある。母乳も順調で、毎日少しずつ大きくなっている。しんどくて眠いけれども、「建設的疲労」だと思うし、ちょっとずつ重くなっていくのが分かるから達成感がある。職場への復帰やら保育園探しやらを考えると不安も残るが、今は今を十分に楽しみ・悩みたいと思う。なんとかなると思えばきっとなんとかなる。

家でのお産を経験して思うのは、産科医や産婦人科の不足が重大な社会問題になっている昨今、日本が世界に誇る助産師制度をもう一度見直し、より連携が取れた形で自宅や助産院でのお産が、普通の選択肢のひとつになって欲しいと心から願う。もちろん自分で負う「リスク」もあるけれども、自分の力で次世代を生み出すという経験は、その後の人生で困難に遭遇した時に、絶対なんとかなると思える、大きな力になると思うからだ。

【助産師より】
お家に着くと、西飯さんはお風呂に入っていました。
とてもリラックスできていて、気持ち良さそうでした。
でも、お産の進行を知る為に診察したいことを伝えると、了解してくれて、お風呂から上がってきました。内診で子宮口が8cmである事がわかり、びっくり。すごい余裕で陣痛をやり過ごしているので、そんなに進行しているようには見えなかったからです。
でも、ご本人は、「もう少し、お風呂に入っていたい」と言います。
私は、西飯さんは大丈夫。自分の体の声を聴けている。いい頃にお風呂から出てこられると判断し、希望どおりにしていただきました。
もう一度、お風呂に入りましたが、そんなに長くなく(30分でした)「出ます」と申し出があり、その後はバランスボールに伏してお産の体勢になりました。
陣痛に合わせた深い呼吸でとても、静かなお産でした。
陣痛の痛みはあったに違いないのですが、上手に呼吸でコントロールし、(ご本人が言うとおり、ヨガの呼吸が役に立っていました。)赤ちゃんの通過を邪魔していないのがすごく良かったです。

西飯さんが一人目を出産した時の事を聞かせていただいた時も助産師が呼ばれるタイミングにすごいと感じていましたが、お産の経過を理解し、自然な営みであることを受け入れている事が大きく影響していると感じたお産でした。

見事なリラックスで陣痛とつき合えています。
二人の息はぴったり合っていました。
赤ちゃんは小さいけど、大きいね。
家族みんなが素敵に輝きました。

体と心で感じながら産めて・・・  古河磨子様 第2子駿人君 自宅出産

《出産当日》
6月27日(水)39週0日
お昼頃から下腹部に張りを感じるが、かなり不定期。
14時から予定日1週間前の健診。巻田さんに様子をみてもらう。この張りが定期的に、そして長くなってきたらお産の気配、とのこと。
長女(朋夏)は予定日超過で促進剤によるお産だったため「自然に陣痛がくる」という感覚がわからず心配していたが、張りの感覚がわかったので少し安心する。
潮から見ると今日は16時から21時からが満ち潮。巻田さんが帰り支度をしていた16時頃少し張りが強くなる。これが潮の影響!?我が体のことながら自然に影響されていることに驚く。
もしかしたら今夜の大潮で生まれるかも?なんて話しながら巻田さん帰宅。

健診後、「もしかしたら今夜かもよ~」なんて軽い気持ちで主人と実母にメールする。

18:00 夜ごはんの支度を始めた。18時頃から痛みが増してきて間隔も10分程度になる。

18:30 18時半頃から5分間隔くらいになってきたので、巻田さんと主人に連絡する。タイミング良くその後すぐ母から電話があり母にも来てもらうことにする。母が主人に連絡したらこれまたタイミング良く母を拾って帰宅するとのこと。

19:40 主人と母が到着。その後間もなくして巻田さんも到着。続々とみんなが来てくれて一安心。(後日談として母も巻田さんがすぐ来てくれたので、「いつ来るのかしら・・・。まだ来ない・・・。」と心配する事がなかったのが一番安心した、と言っていました。)

20:00 近所のママ友であり、助産師でもある友人Yさんが気にかけて差し入れしに来てくれた。このころはまだ余裕あり。

21:00 夏村さん(サポートの助産師)が到着。
陣痛の痛みは強くなるが、陣痛の間は痛みが引く。陣痛の波を感じる。
主人にソファーに座ってもらい膝の上にクッションを置いて、その上につっぷした状態で陣痛を乗り切る。立ち膝のような状態。妊娠中、右側に子の背中があったので、左側に背を移動するため回転して出てくるからそのような格好の方が子が回りやすい、とのこと。いついきんだらいいかわからず巻田さんに聞くと、「いきみたくなったら力を入れていい」と言われ、体の反応に合わせる。陣痛と陣痛の間にふーーっと力が抜け、カクッと一瞬眠りに落ちたような状態になる。巻田さん曰く、自然の麻酔がかかっている状態で、無痛モルヒネが脳から出て痛みから守ろうとしているらしい!
羊膜が破れず破水しないままの状態で頭が見え出す。いきむと体がひきさかれそうに痛い。でも途中で休んだら頭がつかえるんじゃないか、形が悪くなる?などと思ったり、はたまたもう一気に出して痛みから解放されたいっ!と思いとにかく頑張る。その 
後パチッと膜が破れる音がする。

22:41 駿人誕生!“ぬるん”と出てきた。下から子を受け取り抱く。
ぬるっとしていて抱きづらかったのをとても覚えている。とにかく無事出てきてくれて一安心。その後、子を胸に乗せて胎盤が出てくるのを待つ。20分程して出てくる。臍の緒はかなり太く長いものだったらしく巻田さんも驚いていた。それから臍の緒を切る。
緊張の面持ちで主人に切ってもらう。

【助産師より】
妊娠中には、家族が起きる前に朝1時間歩くなど、安産を希望する意識は高くお持ちでした。
出産当日の午後は妊娠39週0日の妊婦健診の日でした。おなかの張りとともに下腹痛があると話され、1時間に2回ほどおなかが張っていました。1週間前の健診で子宮口が2~3cm開大と準備万端だったので、内診はせず、待つだけだね~。という状況で私は帰宅しました。その4時間後(午後7時)に呼ばれることになり、その時には4分間歇の陣痛、発作60秒でした。
ちなみに子宮口は4cmでした。
その後、陣痛はゆっくり強くなり、その陣痛に合わせてとても上手にリラックスされていたことが記録にあります。
午後10時に胎胞が排臨しはじめますが、その時にも自然の麻酔がかかったようと私の記録に残っています。
そしてそのまま、羊膜は破れずに午後10:41に元気な男の子が産声をあげました。

《自宅出産に至るまで》
検査薬で陽性反応があったので、朋夏のときもお世話になった実家近くのHクリニックへ検査に行く。
Hクリニックは分娩できない産婦人科なので、今回はどこでお産しようかと考える。朋夏を出産した時は実家近くのJ大学病院だった。その時は実家から近いし、大きい病院は何かあった時に安心だし、Hクリニックの先生も元はJ病院の先生だったし・・・なんていう理由だけで病院を決定。今思えばその頃はお産についての情報は全くと言っていいほどなかった。
病院によってお産に違いがあるとは知りもしなかったし、妊娠期の過ごし方がお産に与える影響なんていうものもほとんど知らなかった。病院の違いは部屋のきれいさや食事の内容くらいにしか思っていなかった。

いざ出産を経験してみると想像していた感動なんてものはなく、やっと生まれた・・・という安堵感と脱力感のみ。予定日超過だったので入院→促進剤による出産だった。陣痛は痛いし、予定日を過ぎても生まれる気配がなかったので本当に「やっと生まれたぁ・・・」という感じだった。

生まれたら「女の子ですよ~」と言われただけで抱く事もなく別室に連れていかれた。それから身ぎれいなって戻ってきた時も隣の小さなケースに入っていたので私が最初に抱っこできたのはいつだったかしら・・・。
産前産後がこの出産を境に別々のものといった感覚でどうも関連性が感じられなかった。

そんな経験を踏まえ、次は感動できるお産を!ということでまずは助産院を主体に検討。知人が出産した都内の助産院を検討。説明会に行き、ここにしようと検診も行ったがやはり距離が遠い。再検討する。
その頃から漠然と「自宅出産・・・?」という文字が頭をかすめるが、やはりどこか不安があって踏み切れず。そんな時に友人Yさんが貸してくれた本を読んでいるうちに次第に自宅出産の思いが強くなると同時に不安も徐々に解消され、思いが固まりつつある。
同じくYさんが自宅出産のビデオを貸してくれ、ある日見ていたら主人が「自宅にすれば?」と何気ない一言。自宅出産について、どう説得しようか悩んでいたところに、主人からまさかそんな言葉がでてくるとは思っていなかったのでびっくりすると同時にとてもうれしかった!
これで自宅出産を決意!

両親も都内の助産院に比べれば・・・ということと私が言い出したら後に引かない事をよくわかっているので(さすが実父母!)大きな反対はなかった。義両親は心配からやはり難色を示したものの、病院と提携していることなどを説明したら理解してくれた。ひとまず安心。

そして次の問題は助産師さん探し。
友人Yさんも気にかけて対応してくれる助産師さんを探してくれ、私自身もネットで調べたりした結果出会ったのが巻田さん。「助産師さんと会ってみて合わないと思ったら無理しない方がいい」とは聞いていたが、騒々しくなく淡々と話しをする巻田さんの様子に安心感を覚える。親戚の人に似ていたこともなんだか初対面の気がせず、この方にお願いしようと!と思う。

ついに自宅出産に向けての準備がスタートする。


《長女・朋夏の様子》
陣痛中はわたしの様子を心配して時々そばに来て気にかけているようだった。いつもは寝ている時間だったが、いつもと違う様子にやや興奮気味で眠いけど眠れない様子。もうすぐ生まれる、という頃に眠くなってしまい、母に抱っこされて寝そうになるが、私のうめき声で眠れなかったよう。しかし、誕生の際に起きていてくれたので良かった。
誕生してすぐの駿人の様子は、母に抱っこされて不思議な様子で見ていた。主人が臍の緒切断後に駿人を初抱っこすると、初めて泣いた。が、すぐ落ち着く。
間もなくして限界が来たようで、私の隣でよこになり寝てしまう。

翌朝、目覚めてすぐ「あっ、赤ちゃん」と言って様子を見に来た。ちゃんと覚えていたし、存在が気になる様子。
友人の赤ちゃんを抱っこすると怒るけど、駿人に対してはそのような事はないので、やはり、「家族」という自分の身近な存在っていう認識はあるよう。

約1ヶ月経った今日も「はやとー」と呼んでなでたり、泣いていると心配したり、それなりにお世話してくれ、彼女にとってかわいい存在である様子。
病院出産だったらどんな反応だったのかなあ。

27日の朝、主人が出かける時に、「ママのことよろしくね」と朋夏に行って出かける。今までそんなこと言ったことなかったのでこれも虫の知らせ!?朋夏はいつも昼寝する時間になっても寝なく、その後も眠そうなんだけど寝ずに起きている。14時になって検診のために巻田さんが来たら、コロッと寝た。ほんとにコロッと。もしかして朝パパに言われたことを気にしていて、巻田さんが来たら安心して寝たのかしら?なんて親の勝手な解釈。ほのちゃん、ありがとう!

《自宅出産を経験して》
自宅出産を経験して思った事は「自宅でも生めるんだ!」ということを身をもって体験できたということ。
「自宅で」というとみんな「大変じゃない?」とか「すごい!」とか言われる。
確かに私も以前だったらそう思っていた。しかし実際自宅で生んでみると
病院で産む方が大変じゃない・って思う。陣痛が強くなってきた頃から家から病院へ移動し、更に生まれる直前の非常に痛い時に陣痛室から分娩室のあの台へと移動することの方がよっぽど大事で大変な事だと思った。

一人目の時は産前産後の関連性が感じられなかったが、今回の自宅出産では生まれてすぐ抱き上げ、それからもずーっと一緒にいるので、この子がおなかの中であんなに元気に動いていたのね、とか生まれる直前も頑張って回転してたんだね、と
自然にそして素直に、すべては一つの流れであると受け入れられる。


人の誕生ってものすごい事だけど、それがいつも見慣れた我が家であると「ある日の出来事」のような日常のちょっとした出来事のように感じる。昨日までおなかに中にいた子が次の日目覚めたらいるのに、ものすごく自然なこと。いつもと同じように一日が始まっていく。とても不思議な気分だった。

生まれて来る子にとっては、1分たりとも新生児室等の知らない場所に連れて行かれることもなくずーっと常に家族と一緒。これほど安心していられる事はないだろうと思う。

自宅出産は周りの家族と理解があってできること。大変感謝している。
自宅出産に賛同してくれた主人に感謝。色々心配もあったと思うが一生懸命支えてくれた事を感謝したい。
そして産後から約1ヶ月間身の回りの世話と子たちの面倒を見てくれた実母に感謝。母なくてはできなかったことだと思う。
産後から最初の2週間は泊まりできてくれていた。その間家で留守番し、単身生活を余儀なくされた父にも感謝。不慣れな単身生活。色々不便で大変だったと思う。
私達の考えを重視して理解してくれた義両親にも感謝。義母には週末に2度も泊まりで手伝いに来てもらった。義父も色々心配だったと思うが理解してくれた事に感謝したい。
そして、色々相談にのってくれ、産前のみならず産後もケアしてくれた友人Yさんには本当に感謝している。彼女にお陰で自宅出産という道が開けたわけだから。
そして最後に、巻田さん。巻田さんなくしては今回の出産はありえなかった。自分の考えをしっかり持っていて、でもあまり多くは語らない。まさに職人さん!もっともっと色々お話そてみたいと思ったところで新生児訪問の5日間、1ヶ月検診も終わってしまい、もう会えないのが残念。せっかく知り合った縁なので、これからも宜しくお願いいたします。

自宅出産は経験してみてわかること。いくら説明しても体験しなくてはわからないことばかりだから自分の身近で一人でも多くの人が自宅出産を体験できたらなぁ、私の経験が一人でも多くの自宅出産希望者へ役立てばなぁと、願う。
これからお産する人達は、「病院、助産院、自宅・・・と選択肢は色々ある」という事を知り、その上で自分のお産場所を自ら選べる環境であってほしい、と今回の出産を通して強く思った。

リラックスできる事がお産の進行には一番
穏やかな出生のため、赤ちゃんも穏やか
臍の緒はまるごと記念に。

自然なお産で感じた幸せ  板倉まり子様 第2子 駿くんを自宅出産

《出産当日》
AM5:00 お腹の張りを感じる。予定日まであと1週間。赤ちゃんも準備しているのかな?と思う。今のうちにコウキの気分転換を!と午前に中央図書館へ。映画を見て、クワガタ、カエルの折り紙、本の読み聞かせをして、昼帰宅。

PM1:00 コウキとパスタを食べる。今日はお腹の張る回数が多いかな?と思う。

PM3:00 コウキの靴を買いに稲毛へバスで出かける。ねだられて納豆まきを買う。

PM5:00 お腹の張りと同時に今までにない痛みを伴う。おかしい。陣痛?
時計を見る。今日はおばあちゃんお出掛け、パパ泊まりの日だよ~~。
(子宮収縮の)波がおさまり、落ち着いたので、ひとまずコウキとお風呂へ。入浴中に痛み無し。さっきのは気のせい?

PM5:50 また痛む。2~3分しゃがむと楽。間隔が1時間に2回くらいなので、様子を見る。ちょっと心細くなり、パパへ電話。泊まりは止めていつも通り23時~0時頃帰宅にすると予定を変更してくれる。
夕食準備する。コウキリクエストのポテトフライ作成中、また鈍い痛みが来る。怖いので、炊き込みご飯、納豆まき、ポテトのすごい組み合わせで夕食をすませる。

PM7:00 痛み、30分毎だけど、定期的。肛門にテニスボールを当てると楽。コウキ、パン君のテレビを夢中で見ている。

PM7:25 トイレでおしるし?出血あり。
巻田さんへすぐ電話する。ひとまず診察をお願いする。電話したら気持ちがホットする。
今日でありませんようにと思い、空を見るときれいな満月。今日来るのかという気持ちに。電話後、痛みの波が短くなる。今日の予感・・・・。
コウキに「ママ、すごくお腹痛いの。巻田さん呼んだの。パパもおばあちゃんもいないの。コウキ、パパの代わりだよ」と伝えると、「分かった」とテレビを消して背中をさすってくれる。

PM8:00すぎ 巻田さん到着。すぐに腰をさすってくれる。気持ちいい。私の顔を見て、「あ~。いい顔してる。産みそうな顔よ」と。本当?! 陣痛の合間に内診。「すごくお産すすんでいるよ。」と。この時、子宮口8cmだったよう。(汗) 急にバタバタ準備。サポートの助産師にも連絡つけ、コウキはどうしたらいいかわからず逆に邪魔に。(苦笑)
私は、すぐにパパに電話。「早くあがって帰って来て (懇願)」パパ「なるべく早くあがるね」と。ごめんパパ今すぐあがって(涙) おばあちゃんにもメール。渋滞にはまっていると。 巻田さん、器具の準備に忙しそう。でも陣痛の時は必ず腰をさすってくれる。

PM8:30 サポートの白井さん到着。すぐにコウキの相手をしながら介助にはいってくれる。巻田さんと白井さんで私の水分(お茶)を用意してくれる。
陣痛時、二人でさすってくれ、痛みが和らぐ。
陣痛は初めより徐々に強くなるが、その痛みに体がついていける。
誘発と全然違う。体に合わせた痛みに感動。
マタニティヨーガの助産師、飯島さんの“ゆっくり呼吸をして体のすみずみまで酸素を入れましょう。陣痛の間に必ずそのような時間があります。リラックスすると赤ちゃんにも十分酸素がいきわたります。”の言葉を思い出し、なるべく力をぬく。

PM9:00すぎ 徐々に圧力が下にかかってくる。自然に力が入る。すぐに出そうな無理そうな何とも言えない感じ。タオルを思いっきりにぎる。巻田さん、白井さんが呼吸の声をかけをしてくれ、それに合わせる。すごい圧力。巻田さんが「パンパンだよ。」と言う声に促され、触ってみると、パンパンに張ったものに触れた。赤ちゃんも頑張っている!
いきむ力が強くなり、出かかっているのが分かるが、力を抜くとひっこむ。
コウキが「まだ生まれないの?」巻田さん「そう簡単には生まれないよ」と話す声が聞こえる。  この圧力に耐えられるかしら?

自分でもびっくりするくらい低いうなり声。痛い。巻田さんと白井さんに上手だよと言ってもらうとやる気が出る。何回か繰り返す。 パパから電話。それどころではありません。白井さんが代わりに出てくれる。パパ、もう生まれるよ。

コウキの「風船みたいの出た!」 風船? その後生温かい感触が股に“つるるるん”と何か出た。でも呼吸に精一杯で、目を閉じる。
巻田さん「下を見る余裕ある?」と。ハッとして、下を見ると赤ちゃんの顔が見えた。手を伸ばす。胸に抱く。ぬるぬるしている。全然泣かない《ここでの意味は産声をあげた後は泣き続けないということ。》静かに目を開けている!! 
コウキが「ママ、生まれたね赤ちゃん!」 
あなたがお腹にいたのね。ありがとう!!
巻田さんと白井さんが介助してくれ、そのまま仰向けに寝る。
臍の緒を触ると拍動している。巻田さんが切りますか?と促されて、自分で臍の緒を切る。ゴムのような感触。
赤ちゃん、なんて静かなんだろう。  パパに電話。「生まれたよ。」と報告する。「えっ!うそ!」と。おばあちゃん到着。「えっ?もう生まれてるの?」と。

計測で、初めて赤ちゃんが泣く。コウキは興奮状態。私もすごく興奮。
こんなお産あるんだ。産んで赤ちゃんと会えて幸せ。でも一生懸命産んでいる間も幸せだった。家族がそろっていなかったけど、幸せなお産だった。

助産師より
板倉さんと出会った時、前回のお産が予定日超過した誘発分娩で、産後も赤ちゃんとの生活が大変だったと伺いました。
今回のお産では、自然な陣痛の素晴らしさを体験していただきたい。自然なお産の一連で、母乳育児がスムーズにでき、赤ちゃんとはじめから調和できる事を知っていただきたいと感じました。
自宅出産を楽しみにされ、妊娠中は予定日を超えないように。安産のために、よく歩き、マタニティヨーガも取り入れて自分で産める体作りに取り組まれました。
文面にあるように、、板倉さんが体のためにおこる自然な陣痛を逐一感じて過ごし、陣痛がお産の進行に合わせて、徐々に強くなり、自分にも赤ちゃんにも受け入れられるものであることを今回のお産で経験されたのだなと思います。
妊婦健診ではコウキくんもいつも一緒でしたので、ママがピンチの時に自分も役に立ちたいとという心が育っていたのだと思います。幼い子どもの気遣い、思いやりにも、自宅出産では多く目撃します。
お産の場面にいた事で、人が簡単に生まれてくるものではないと、コウキ君の体と心に刻まれたのだと思います。

お産直後から駿くんの欲求するままにおっぱいをあげて、産後の生活も、母乳育児がすぐに軌道にのり、お産後に楽しそうにしていたのが印象的でした。
上手くいくのは、お産後から二人が離れる事のない環境が大切です。おっぱいを通して二人の関係が生理的にも、情緒的にも結ばれるのです。

一生懸命産んでいる間も幸せだったという言葉は、助産師の職務として大成功のお言葉です。ありがとう。

血色もいいですね。心も体も健やかなお誕生でした。
お兄ちゃんも立派な協力者でした
パパも1時間後には駆けつけました。
二人の関係は最高です。
お問い合わせ